遺伝子を自在に操り、思い通りの特徴を手に入れる──。
そんな夢物語がやがて現実になるかもしれません。生命の設計図である
ゲノムを自由に改変できる「ゲノム編集」技術の進歩が加速し、
さまざまな分野に広がりつつあるためです。
今回は「ゲノム編集」とはどのような技術か、私たちに何をもたらすのか、
私たちの未来をどう変えようとしているのか紹介します。
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生命の設計図を書き換える!?
「ゲノム編集」とは。
ゲノム編集とは?
遺伝子組み換えとの違いは?
私たちの体は、約37兆個もの細胞でできています。そして、それらの細胞一つひとつが、2万数千個もの遺伝子によって精密にコントロールされています。各遺伝子が適切な時期に働くことで、必要なタンパク質が生成され、体の各器官を形成。それらが正しく機能することで、私たちは生きることができるのです。このように、生物が生命活動を営むのに必要な遺伝情報のセットのことを「ゲノム」といいます。
「ゲノム?」「遺伝子とどう違うの?」と混乱している方のために、DNA、遺伝子、染色体、ゲノムについて整理しておきましょう。イメージしやすくなるよう本に例えてみると、「DNA」は情報を記すための物質、いわば紙です。「遺伝子」はその紙に書かれたタンパク質の設計図で、その設計図を1冊の本にまとめたものが細胞の中にある「染色体」。ヒトの場合、両親から23本ずつ受け継ぐので、本は合計46冊あります。その全巻セット、いわば全集が「ゲノム」です。つまりゲノムとは、遺伝情報全てを指すわけです。
そして、あるページに書かれている情報を削除したり、書き換えたりして、ゲノムを意図的に改変する技術が「ゲノム編集」技術です。原理的には、生物を望むままに変えられる可能性を秘めています。
特定の遺伝子を切りとったり、別の遺伝子に書き換えたり、まるで文字列を検索して書き換えるテキストエディターのような役割を果たすのが、「CRISPR-Cas9」(クリスパー・キャスナイン)というツールです。細菌の免疫の仕組みを利用したもので、DNAの特定の部分を見つけ出す働きをする「ガイドRNA」と、DNAを切りとるための「酵素」で構成されています。2012年にその働きが発見されて以来、従来の編集ツールよりも狙い通りに編集しやすく、低コストで使いやすいことから、現在ではゲノム編集に欠かせない存在になっています。CRISPR-Cas9によるゲノム編集は革新的なブレイクスルーとされ、手法の開発者は2020年にノーベル化学賞を受賞しています。
ところで、遺伝子を改変する手法としては、すでに「遺伝子組み換え」という技術があります。「遺伝子組み換え食品」という言葉を目や耳にしたこともあるのではないでしょうか。しかし遺伝子組み換えは、ゲノム編集のように狙った場所に遺伝子を挿入することができません。ランダムに挿入するため特定の遺伝子を狙った修正が難しく、狙い通りに品種改良するためには試行錯誤や長い時間が必要となりがちでした。また、遺伝子組み換えでは異なる生物の遺伝子が利用されるため、自然界には存在しないものが生まれる可能性があります。これに対して、狙った遺伝子だけを削除する「欠失型」と呼ばれるゲノム編集の場合、自然界でも起こりうる紫外線や自然放射線などによる遺伝子の切断を活用しているため、生まれるのは自然界でも存在する可能性があるものになります。
医療や農業、水産業で進む
ゲノム編集によるイノベーション
さまざまな分野への応用が見込まれるゲノム編集ですが、特に研究が進んでいるのが医療、農業、水産業の分野です。
医療分野では、遺伝子疾患の根本的な治療法として期待が高まっています。例えば、アメリカや中国を中心に、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染症、筋肉が徐々に弱っていくデュシャンヌ型筋ジストロフィー、出血が止まりにくくなる血友病などの疾患を対象とした臨床研究が行われています。
また、がん細胞の増殖に必要な遺伝情報を読みとれなくしたり、標的とするがん細胞を攻撃するよう免疫細胞(T細胞)をゲノム編集したりするなど、がん治療に役立てる研究も行われています。
さらに、ゲノム編集技術によって病気に関係する遺伝子を特定し、それに対応する分子や化合物を見定めた上で治療薬を開発することができるため、スピーディーな創薬が可能になります。患者の遺伝子情報を利用して、副作用が少なく効果の高い個別化医療を実現する可能性も広がります。
農業や水産業の分野でもイノベーションが起きようとしています。日本では、例えば雨が少ない地域でも育つ乾燥に強いコムギ、芽に毒素がほとんど含まれないジャガイモ、収量の多いイネなどの研究が進められています。また、ストレス緩和や血圧上昇を抑えるとされるGABAを多く含むトマト、肉厚に改良されたマダイや成長速度が1.9倍のトラフグなどはすでに実用化され、販売が認められています。
未来を切り開く
ゲノム編集の可能性
2018年11月、衝撃的なニュースが報道されました。ゲノム編集した受精卵から子どもを誕生させたと主張する研究者が現れたのです。ゲノム編集されたヒトが初めて誕生したことになります。
大きな可能性を秘めたゲノム編集技術ですが、多くの科学技術が負の側面を備えているように、ゲノム編集もいくつかの課題を抱えています。その一つが、この「デザイナーベビー」に象徴される倫理的な課題です。受精卵にゲノム編集を行うということは、赤ちゃんの全ての細胞の遺伝情報を書き換えることであり、その影響は将来の世代にも受け継がれていきます。しかし、現在の科学では、ゲノム編集が将来の世代に及ぼす影響を予想できません。また、病気の治療や研究の範囲を超えて、子どもの遺伝情報を親の好みで書き換えていいのかという問題もあります。今後、社会全体で議論し、考えるべき課題でしょう。
また、技術的な課題として、「オフターゲット効果」と呼ばれる予期しない副作用や遺伝子の不正確な編集が生じる可能性が指摘されています。
このように、さまざまな課題はあるものの、ゲノム編集が未来の設計図を明るいものに改変してくれる可能性も十分にあります。病害虫に強く栄養価を強化させた作物の開発が、食料不足や栄養不足に関わる問題解決の一助となるかもしれません。また、遺伝子治療は、難病に苦しむ多くの人々の希望になるかもしれません。
オフターゲットへの影響が低く、より安全な日本発の編集ツール「CRISPR-Cas3」の技術改良をはじめ、より精緻な編集技術の開発やAIとの連携などにより、ゲノム編集技術の進歩はさらに加速していくことでしょう。
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記事公開:2023年8月
情報は公開時点のものです