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小林エリカ

作家・漫画家

1978年東京生まれ。2007-08年アジアン・カルチュラル・カウンシルの招へいでアメリカ、ニューヨークに滞在。現在東京在住。
著書は小説に『空爆の日に会いましょう』、詩をモチーフにしたコミック『終わりとはじまり』(共にマガジンハウス)、『この気持ちいったい何語だったらつうじるの?』(理論社YA新書よりみちパン!セ)などがある。
最新刊は『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)。

book

LIBRO de KVINA - 小林エリカ

歴史は自分につながっている。

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─ 『親愛なるキティーたちへ』では、父・小林司さんの少年時代と、アンネ・フランクの日記とがどこかリンクし合い、その間を埋めるように小林さんはドイツ、ポーランド、オランダを旅します。2人の日記には戦争という「大きな歴史」を生きた家族や個人の「小さな歴史」が描かれています。「小さな歴史」には、「大きな歴史」だけではわからないものが記録されているのだと感じました。

金沢での学徒動員から、戦後の日々を書き記した父の日記(16~17歳の頃)を読んで、学校で習った「歴史」って、本当は"自分につながっているものなんだ"と実感しました。私のお父さんの時代。そのまたお父さんの時代、そのまた……というような感じで。

日記に「青春の悩みは深い」と書いてあるのを見ると、自分にとっては大人だった父にも、少年だった時がある。そう思うだけで、急にその時代が近く感じるようになりました。私の父はアンネ・フランクと同じ年に生まれています。父が80歳の誕生日を迎えたその年に、アンネも生きていたら80歳を迎えたかもしれなかったんです。

─ 『親愛なるキティーたちへ』で描かれるアンネ・フランクを巡る17日間の旅の後半は強制収容所を訪れていますね。

強制収容所では、たくさんの写真が飾られていましたので、写真について考えざるを得なかったですね。だれもが家族写真が大事なので収容所に持っていく。だからどの収容所にも写真がたくさんあるんです。どれも重要な一枚だし、写っている人にはそのひとりひとりに名前があって、家族がいる。……でも今ではそれが誰なのかわからない。

収容所でこの状態を見せつけられたとき、写真ってなんだろう。記録するってどういうことだろうと、考えざるを得なかった。アメリカに滞在していた時に、出会ったおばあさんはホロコーストから逃げてきた人でした。おばあさんのトランクの中はすべて写真だったそうです。……写真はかけがえがないものなんですね。写真ってやっぱり大事なんだなあって思います。

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父の青年時代も、今の時代にも同じように桜が咲いている。

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─ 今回見せて頂く写真は古くて小さな写真ですね。お父さんの写真ですか?

ボロボロになっちゃっているんですけれど、父の写真がすごくていねいにアルバムになっていて。先ほどお話しした『父の日記』の数年後、20歳くらいの時に写されたものじゃないかな。この写真は、父が旧制高校時代を過ごした金沢の川沿いだと思います。他の写真を見るとお弁当を持っているようですね。お花見なのかな……。もしかすると合コンなのかも(笑)。
父は旧制高校時代に合唱をやっていたそうなんです。合唱会を催していて、引き揚げ者の支援のためにお金を集めていたみたいですね。今でいうチャリティみたいな感じでしょうか。戦後は物も無いし、勉強もできない、食料も少ない。その気持ちを少しでも明るくするために合唱をはじめたそうです。その時の写真かもしれません。

春の川沿いで桜が咲いています。昭和21年4月15日の日記にも「夜、九時に家を出て母と夜桜を見に行った」という記述があるので、桜の写真を選んでみました。私がアンネ・フランクの旅を終えて、東京に戻ってきた日も4月15日。時代は違っても、同じ時期にまた桜が咲いているんですね。それがどこかつながっている感じがして。

桜って「あと何回桜が見られるか」とか、なんだか象徴的に捉えられる花ですよね。父やアンネの日記を読んでいると、季節が巡り、いろんなことがありながらも、いつも花は咲いている。アンネの隠れ家に、ベップさんという女性が花を持ってきてくれたという記述があります。たしか水仙とムスカリを持ってきてくれた。私の部屋で水仙の花を飾って眺めていた時、「この花がアンネの部屋にもあったんだ」と思うと不思議な気持ちになりました。

─ 人古い写真や古い日記はすごい存在感がありますね。お父さんがそこにいるような感じになりますね。

ええ。自分が死んだ後に残る日記や写真とかってすごく考えさせられますね。手書きの文字って、写真と同じように「その瞬間」に書いているんですよね。たとえば父の日記は「1945年の7月22日」に書いていたんだと考えるとドキッとする。戦時中、命を心配しながらも、食べ物の事が併記されていたり。写真も同じだと思うんですけれど、「今この場所で、この時間の中、そのものを読んだり、見たりするのはどういうことか」を古い写真や日記を見るたびに思いますね。

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残された記録から、私を受け取ってもらいたい。

─ 小林さんはアンネ・フランクを巡る旅では写真は撮りましたか? 本の中の持ち物リストにデジタルカメラはありましたね。

実は今回の旅ではドローイングをするのが忙しくてあまり撮れなかったんです(笑)。ドローイングが『親愛なるキティーたちへ』の中に使われています。ドローイングはその場で描ききることにしているんです。そうすることでちょっとだけその場所に長くいられますから。雨が降るとインクがにじんだりすることがある。そのにじみも含めて私がその場所で何を見て、描いたのかが紙の上に残ったらいいなと思って。

─ 『親愛なるキティーたちへ』を読んだ人は、アンネ・フランクは歴史上の遠い人ではなく、「あ、おじいちゃん、おばあちゃんと同世代の人なのか」と、自分のルーツやアンネに興味を持つでしょうね。

父親は私から見ると常に「大人」でした。悩んだり泣いたりしない大人。日記や写真を見ると、悩んでいるし、若者だし。『アンネの日記』に出てくるお母さんは、もはや今の私の年に近い。後日、『アンネの日記』を見たアンネのお父さんも「娘がこんな事を考えているとは知らなかった」とコメントしています。

身近だから、家族や両親ことをなんでも知っているように思うけれど、日記を読むと何も知らないということがわかる。「こんなに近くにいる人のことをなんにもわかっていないんだ」というのは大きな発見でした。だけど、日記の文章や写真があればそれを伝えてもらえる可能性ってあるんだなと思いました。私自信という存在もいつかなくなります。だけど、そこに残ったテキストなどから何かを受け取ってもらえたらいいなと思います。

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2011/5/00 取材・文 井上英樹/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

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