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近藤良平

ダンサー・振付家

学ラン姿で踊る男ばかりのダンス集団・コンドルズ主宰。世界20ヶ国以上で公演。NHK『てっぱん』振付けや同「サラリーマンNEO」内「テレビサラリーマン体操」、同「からだであそぼ」等で活躍。
第4回朝日舞台芸術賞・寺山修司賞を受賞。
近著に『からだと心の対話術』(河出書房新社)。

book

コンドルズ
日本縦断大連勝ツアー2011 [グランドスラム]
8/25~9/18 東京、札幌、静岡、大阪、広島、福岡
http://www.condors.jp/

ポルトガルの海辺を自転車で南下して行ったのは、「完璧に近い丘」を探していたから。

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─ 近藤さんは写真を撮るのが好きだと聞きました。

そう。実は、僕、写真展をやったことがあるの。「近藤良平展 あの頃僕は西方にいた」というタイトルで。コンドルズをはじめたのが1996年だから、その1年前に。お客さんは30人くらいしか来てないんだけど(笑)。
そのとき展示したのは、大学を1年休学していったヨーロッパ旅行の写真が中心。プロのカメラマンになるつもりはなかったけど、この当時は写真が大好きで、うまいへたべつにして、大げさにいうと命がけで一枚一枚を撮るっていうのが、おもしろくてしかたがなかった。

─ 命がけだった……。

だって、フィルムカメラだから、なくならないように逆算して使わないといけない。テントやバーナーとかいれたバッグに、フィルムやカメラも押し込んで、お金もないから、一枚一枚がすごい貴重。だから、今回みたいに写真を一枚だけ選ぶ作業は、僕的にはすごいたいへん。だって、このころ暇でしょうがないから、この一枚撮るのに、「あの波際がこっちまでこないかなぁ」と思って、平気で2時間くらい待って、2時間後に「きたー」っていってガシャンと撮るの。2時間そこにいられるって今はできないけれど、当時はそれが楽しい時間でもあった。それだけに、一枚一枚にすごい思い入れがある。

このときポルトガルの海辺を自転車でくだっていたのは、「完璧に近い丘」を探していたから。ある意味ロマンチストな時期でもあったから、一生住んでもいいと思えるような海の見える丘を探している部分もあった。そんなものを一生懸命探すことなんて、この先の人生でもうないだろうし、現実的にはずっと住み続けるなんて無理だって、わかってはいたんだけど、探さずにはいられなかった。そして、ほかにやることなんて何もないから、写真を撮っていた。

─ 理想的な丘を探しに……! どうして「丘」だったのでしょう?

なんでだろう。電話しながら、つい描いちゃう絵がいつも丘だった。こうやって、こうやって描いていると、いつの間にかこうなる(写真右参照)。で、ここにこう鳥が飛んでて(笑) そのくらいの理由でしかないんだけど、この旅行で、フランスから南下して、たまたまポルトガルへ向かったのは、海へと向かっていたんだと思う。しかも、地中海ではなく、風も強くて水の冷たい大西洋を選んじゃった。地中海で丘を探したら、また違っただろうね。

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南米で暮らしていた非日常のなかで写真をはじめた。

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─ ところで、近藤さんが写真に興味を持ったのは、いつころからですか?

それははっきり覚えていて、小4のとき。親父からオリンパスペンのハーフサイズカメラをもらってから。あの当時、アルゼンチンで暮らしていたから、自然と写真を撮る機会が多かった。日本に戻ってきてからも、中学高校とずっと写真部。サッカーもやっていたんだけど、写真もずいぶん熱心にやっていた。動物園へ撮影会に行ったり、家で飼っていた文鳥を撮ったほか、このころなにを撮っていたかは覚えてないけど、暗室で写真を大きく焼けるのがおもしろかった。貴重な一枚を焼く感じでね。
そのころ使っていたカメラは、ペンタックスSP、そのあとがME。このMEを旅行にも持って行ったのだけど、すごい壊れまくった。海の近くを旅していたから、砂が入ったりしてまず巻き取りがダメになったから、一枚、一枚、ペンチで巻いて、うまく調整しながら撮っていました。

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一枚の写真には、そこにいたるまでの長い時間や、当時の思いまで映っている。

─ そういう意味でも命がけ……。そんなかからこの写真を選んだのは、特別ななにかがあったから?

なんでこの写真が僕のなかで残っているかというと、色がすごかったから。このテントの写真が午後2~3時くらいなんだけど、ずっといると空の色が変わってくるの。今、僕は40歳を過ぎているから、海の夕日ってかなりの回数を見ているけど、この当時ってそれほど見ていないだけに、色の変化がすごく印象に残った。もちろん、今でもすごい残っている。 乾燥している土地なのに、急にミストな空気が流れ始めてきて、劇的に色が変わっていった。そして、内陸の山のほうを見ると月があがっていて、こっち側はすごい色なのに、夜がはじまっていた。

この場所は、ポルトガルのリスボンの下、アレンテージョ地方のあたりで、土地も悪いし、観光地にもならない何もないところ。だけど、僕はここがすごく好きだった。
小さいときは南米に住んでいたけど、自分ひとりで行動したわけじゃないので、このヨーロッパがはじめての自力での旅。「探し物はなんですか」じゃないけど、それにかこつけて移動して、フランスからスペインを経由して、主にヒッチハイクで移動してぽんと降り立ったポルトガルは、南米にいたときの感触がした。貧しさがベースにあって、貧しいからこそ大切なもの、温かいものがあるということが、滞在しているうちにすごい伝わってきて、一気にポルトガルが好きになっちゃった。
移動しながら得られる変化というのも僕的にはおもしろかった。このころ静的な写真のほかに、ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』とかの動的なロードムービーも好きだったから、移動しながら出会ったり、感じたりすることの、自分なりの地図を書くことにも興味があったんだと思う。

─ 今、振り返ってみて、この旅で「探し物」は見つかったのでしょうか?

うーん。旅行の期間は1年くらいだったけど、その間、日本人に会わないし、ひとりぼっちのことが多いから、しゃべらない時間が長くなる。しゃべる必要もなくなるし、あくせくしてもしょうがないと思って。だから、日本に帰ってきても「コップで―――(間)―――、コーヒーでも飲もうか」という具合に、しゃべるのにもすごい長い間が空いていた。べつにおかしくなったわけじゃなくて、もともとの姿に戻れたというか。それまでの僕は、中1のときに日本へ戻ってきて大学に入るまで、レールに乗ったかのようにきちんと勉学をして、ある意味「正しい日本人」になろうとしていたところがあった。それがこの旅行をしているとき、かなり早い段階で、今にもつながるこんなスタイルになっちゃった。この旅行以前の写真を見ると、普通の青年の僕が写っている。でも、普通の青年のときのほうがおかしいんですよ。この旅行からのほうが、今に近い。このときの変化は、おとなたちには「若気の至り」のように見えたかもしれない。だけど「これでいいんだもーん」ってやっていたら、本当にそういう人になっちゃった(笑)

写真っておもしろいね。見ていると、そこにいたるまでの背景とか、当時の気持ちとかも思い出せる。そういう意味じゃ、一枚を選ぶって大切だね。

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2011/8/4 取材・文 岡田カーヤ/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎/撮影協力 プロペラカフェ

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