康本雅子-mainvisual

康本雅子

ダンサー・振付家

24歳からダンサーとして活動を始め、26歳より自作品を作り始めて、これまでに国内外の様々な都市で作品を発表。演劇の振付けやCMやTV番組、コンサートやミュージッ クビデオの振付けなど多方面で活動。近年は小学校や大学でのワークショップも行ったりしている。


康本雅子 公式ウェブサイト

旅行中の写真は数えるほどしかない。貴重で大切な思い出の品

inner-pic

─ 康本さんは、20代の頃した長期旅行中の写真を大切にとっていると聞きました。どういう経緯で旅にでかけたんですか?

大学をやめて、しばらくダンスカンパニーでしごかれたあと、22~23歳くらいのとき旅にでたんです。日本の外を見てみたいという強い思いとともに、タイやインド、ネパール、インドネシア、オーストラリア、セネガル、ニューヨークへ。途中、何度か東京に帰ってきているんですが、お金を稼ぐためだから、まだ旅の途中。その頃の写真を見ると、完全に旅行者の顔をしています。

足かけ1年半くらいの旅をしましたが、写真は40枚入りのアルバム一冊だけ。自分ではカメラを持って行かず、現地で買った使い捨てカメラで記念に何枚か撮るくらい。ほとんどは、行った先々で友だちになった人に撮ってもらいました。それだけに、ものすごく大切なものです。

─ そんななかで「一枚の写真」に選んでもらったのは……、アフリカでですか?

そう。西アフリカのセネガルに滞在していたとき、仲間にいれてもらったダンスグループと一緒にとったもの。これが唯一の集合写真です。 どうしてアフリカまで行ったかというと、インドのあとに行ったオーストラリアで知り合ったジャマイカ人のダンサーの影響が大きかった。彼はジャマイカ人で、彼独自のダンスを踊っていたのだけど、「僕のルーツはアフリカンだよ」と聞いて、「じゃあ、アフリカに行かなければ」って思っちゃったんですね。アフリカンダンスってどうなんだろうという強い思いかられ、本場を体験するためにセネガルへ行きました。

私、真っ黒に日焼けしていますよね。ダカールでは、朝から晩まで踊っていたんです。もちろん、すごくユルいんですけどね。朝、踊ったら、昼は暑いからダラーってして、夕方また集まって踊って、夜は夜でクラブへ行って踊って。

top

アフリカの踊りは、形よりもリズムが大切。その経験が今に活かされているのかも。

inner-pic

─ ほんと、踊り三昧!! セネガルのダンスはかなり生活に近いもの? どんなダンスなのでしょう?

踊りがない日はないってくらい日常的なエンターテイメントでした。サバールダンスっていう伝統的な踊りがあるんです。サバールという、形は違うけどジャンベのような太鼓のアンサンブルで踊るもの。見たことのないダンスでかっこよかった。

彼らにとって、踊りは日常に根ざしているものなので、毎日の生活に踊りがあって当たり前。町なかで普通に踊りがはじまるし、街角でダンスするためのパーティーが開かれるんです。道を封鎖して、そこに椅子を並べて、衣装を着飾って何時間も延々とそこで踊ることが日常。踊る人は踊るし、飲む人は飲む、しゃべる人はしゃべるというように、まるで社交場のようでした。

そして、すごい人が踊りはじめると盛り上がる。なによ私もいけるわよって、人をかきわけてどんどん踊っちゃうみたいな。私なんか、どう見ても日本人だし、へたくそだけど、「あいつがんばっているなぁ」みたいな感じで、一応、ワーッて盛り上がってくれたりもしました。

─ 今、康本さんがやっている踊りにもそのときの経験って活かされているのでしょうね。ライブ感というか。からだ全体でリズムを感じる力とか。

今の自分のダンスは完全に作り込んだものをやっていて、それももちろんおもしろいんだけど、オオルタイチくんとか、ダブルフェイマスさんとか、ミュージシャンがその場で出している音に反応しながらからだを動かしていくのは、まったく違う楽しみ。たしかに、生演奏に合わせてやる踊りはアフリカでやっていたダンスの楽しみに近いかもしれませんね。

セネガルのサバールダンスは全伝統芸能なので、このリズムだったらこう動くというフリが決まっています。ただ、フリが決まっているといっても、例えばバレエだったら「形」を気にするじゃないですか。でも、サバールダンスの場合、決まっているフリに対して、気にすべきものは形じゃなくて「リズム感」なんです。ひとりひとりの形は違っているんだけど、みんなすごくグルービー。いかにグルーブをだして踊れるかというのがいちばん大事なんですね。

top

自分であって、自分でない自分の顔を見ると思い出す。あのころは、世界がキラキラ輝いていた。

inner-pic

─ それ以来、旅行自体もあまり行っていないそうですね。東京での生活と旅での生活、かなり違うものですか?

旅を終えて東京に帰ってきて半年くらいは、アフリカンダンスが好きでハマっていたんですけど、結局、東京にいてアフリカンダンスをしていても、なにか違うって気づいてしまったんです。みんなと一緒に海の近くで生活しながら、朝から晩までダンスするのとは違う。しかも、ちょっとアフリカンダンスをかじったくらいでは、東京での生活はどうにかなるもんじゃないということに。

今から考えると、旅をしていたころの私は別人です。あのときは、邪心というものがなかった。なんであんなに人を疑うことを知らなかったんだろうって(笑) 不思議なもんですね。踊りに対してもそうだけど、人に対してもそう。邪心がないから、結構危ない境遇に合っていたかもしれないのだけど、恐い思いをしたことって一度もないんです。それは運が良かったというのもあるけど、逆に邪心がまったくなかったから、そういう人を寄せ付けなかったのかなぁって今では思うんですよ。

─ 今回、選んでもらった写真とは別に、もう一枚、思い入れのある写真があるとか。

inner-picタイとインドネシアからいったん東京に帰って、ネパールに行く直前。渋谷の町で突然、男の子に声をかけられて撮ってもらった写真があるんです。最初は断ったんだけど、彼の情熱におされて撮ってもらいました。

この写真を見ると、当時自分が、日本の外を見てみたいってものすごくキラキラしていたのがすごくわかる。写真にその思いがもの凝縮しているというか。今は仕事があって、子どもがいて、年齢的にも、どっちかというと守りに入っている部分がある。でも、この写真のころの自分は若くて、恐い物知らずで、世界がキラキラ輝いていた。自分であって、もう自分ではないこの頃の自分を思い出して、ドキっとしました。ああ、私はこういう顔をしていたんだなぁって。

─ 顔が全然違います。

そうですね。このときとも、アフリカのときとも違う。それって行った先の土地がそうさせるんでしょうね。セネガルだったら、バスで乗り合わせても隣の席の人に当たり前のように話しかける。人なつっこいというよりも、それが当たり前だから。関係性が気軽なんでしょうね。だから、自分の皮膚も柔らかかった感じがします。東京だと、ぶつかったらイヤだから、ガードしないといけないので、カチンコチンですけどね。

旅の途中って、からだが半分とけて、その空気と混ざり合っているようなところがある。精神状態や自分のパーソナリティも違っているんでしょうね。
同じように、顔も全然違いますよね。だからこそ、自分の顔が写っている写真ってやっぱり重要ですね。過去の自分を客観的に見ることで、ああこのときって、自分の人生においてこういう時期だったんだなって一気に思い出して、そのときの感じが鮮明によみがえってくるようです。

2011/11/18 取材・文 岡田カーヤ/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

top
ここからフッターです